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  <title>このみな馬</title>
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  <description>競馬好きなブログ主が、好きな馬を連ねていくブログ</description>
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    <title>タカラスチール</title>
    <description>
    <![CDATA[生まれついての短距離馬というにふさわしい牝馬。<br />
スター不在の時代に咲いた婀娜花というイメージが付きまとう。<br />
「せめてマイルを」は知るだけの力がなければ牝馬クラシックの最短距離桜花賞さえ狙えないという陣営の焦りをよそに、マイルに対する対応能力をみせる。<br />
<br />
これで桜花賞が狙えると安堵する陣営。<br />
この時点でのタカラスチールのライバルはエルプスという牝馬、ただ、三戦三敗という戦績では主客が逆に語られるべきなのかもしれない。<br />
<br />
そして訪れた挫折。<br />
スタートで枠に足をぶつけ、その影響をひきずり、馬群に沈んでいくタカラスチール。<br />
陣営の落胆は激しかった。<br />
<br />
その後もいわゆる「勝ちがむかない」状況が続く。<br />
当時のマイル戦線にはニホンピロウィナーが当代最強との呼び声も高かった。<br />
陣営は彼の影を踏むことを避け、短距離戦で細々と実績と経験をつんでいく道を選んだ。<br />
安田記念やマイルＣＳなどで、幾度かGIのタイトルを勝ち取ろうとしたがなしえず、この馬もここまでかという諦めムードが漂った頃。<br />
<br />
前走から乗り代わった「十一人目の男」田島騎手がタカラスチールに最高の瞬間を贈った。<br />
マイルＣＳ制覇。<br />
それは、日本で始めて牝牡混合GIを制した牝馬の誕生だった。<br />
<br />
ところがそれ以降、タカラスチールはぱったりと勝ち運に見放され、そのまま繁殖牝馬としての生活を始めることになる。<br />
そして二度の流産。<br />
タカラスチールの関係者が期待して臨んだダンシンググレーヴとの交配、着床。<br />
そして、8月15日、急激な衰弱の末、死亡という、波乱に満ちた繁殖生活。<br />
<br />
解剖の結果死因は、卵巣に巣食った腫瘍だと判断された。<br />]]>
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    <pubDate>Wed, 15 Dec 2010 09:08:37 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>ワールドクリーク</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
勢いが全てを凌駕することがある。<br />
<br />
何年か競馬を観ていると、たまにそういう場面に遭遇する。<br />
最近では・・・パッと浮かんだのはアロンダイトのジャパンカップダート。<br />
あのレース、小さな画面の前で私は言葉を失った。<br />
<br />
だが、今回の執筆の動機は全く別のところにある。<br />
もっと言えば、ほんの数時間前までは全く取り上げるつもりが無かった馬。<br />
それが、今回の主役。<br />
<br />
<a name="more"></a>９年前の暮れ。小さな受話器の前で私は言葉を失っていた。<br />
<br />
あの日、私の頭の中に居たのはただ1頭、初めて中央と地方との壁に大きな風穴を開けた岩手の雄。<br />
一部では「軍神」とまで呼ばれていた岩手の雄は、しかし、4コーナーを待たずして馬群に沈んでいった。<br />
替わって最後の直線で先頭に立ったのは、「風神」の名を持つかつてのダービー馬の娘。目の前には誰も居ない。<br />
<br />
「勝った」――そう思ったであろう横山典弘の視界に飛び込んできたのは、1頭の芦毛馬。<br />
<br />
呆然と受話器を握っていた私の耳に、かすかに聞こえて来た彼の名前。<br />
5ヶ月の休み明けから、5連勝でのGⅠ戴冠。その全てが、1馬身差以内での勝利。<br />
文字通り、「破竹の勢い」での東京大賞典優勝である。彼がもっとも輝いた瞬間であった。<br />
<br />
翌年の春、彼はドバイの地に居た。<br />
一度は諦めかけた招待状を手にした彼は、6番目にゴールを駆け抜けた。<br />
帰国後、待ち受けていたのは骨膜炎。持ち前の闘志を失った彼は、やがて居場所を失った。<br />
<br />
父は無名種牡馬。母の近親に活躍馬は皆無。重賞勝ちは統一GⅠのみ。<br />
彼は走り続けるしかなかった。自らが生き続けるために。その道を自ら切り拓くために。<br />
<br />
ダートの聖地・大井で頂点を極め、ドバイの地で戦ってからちょうど4年。<br />
彼は、長い長い戦いの末に、九州は荒尾競馬の頂点に立った。<br />
そして、彼はここで真っ白に燃え尽きた。殿追走・殿負けのデビュー戦から、6年以上の月日が流れていた。<br />
<br />
彼は今、信州佐久の地で、メジロデュレンらオグリワンたちと一緒に暮らしている。<br />
<br />
彼が生まれてから10年後。<br />
母ケイシュウハーブは、栗毛の牡馬を産み落とした。<br />
遡ること4時間前、2008年のジャパンダートダービーにおいて、最後までサクセスブロッケンに食い下がったスマートファルコンが、それである。<br />
<br />
事実上の「繁殖牝馬失格」の烙印を1度は押されたケイシュウハーブ。<br />
芦毛の孝行息子の活躍が無ければ、彼女が岡田繁幸の弟に見出されることも、10歳下の弟が誕生することもなかったであろう。<br />
<br />
サラブレッドが背負っている「経済動物」という影。<br />
その事実と向き合って、それでもなおこう思う。<br />
<br />
競馬とは、やはり血のドラマなんだ、と。<br />
<br />
<br />
第13回　ワールドクリーク　1995年4月25日誕生<br />
戦績 中央36戦8勝 地方14戦6勝　主な勝ち鞍 東京大賞典（ＧⅠ]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Thu, 18 Nov 2010 08:52:11 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>レッツゴーターキン</title>
    <description>
    <![CDATA[<p><br />
落ちこぼれ」が頂点に立った瞬間だった。</p>
<p><br />
１頭の馬の衝撃的な死が、彼の名を完全に人々の記憶から吹き飛ばした。<br />
だがその６年前、同じ１１月１日。彼の名は、確かに人々の記憶に刻み込まれていた。血統背景は、一本筋が通っている。<br />
ところが、育成牧場で付いたあだ名が「落ちこぼれ」。<br />
しょっちゅう牧場長を振り落とし、トレセンでは坂路から突如逃亡したこともあった。</p>
<p>この１１月１日もそうだった。<br />
ゲートに身体を半分収めたかと思いきや・・・<br />
次の瞬間、彼が騎手を振り落とす姿がテレビに大映しになっていた。</p>
<p>関係者の思いも様々だった。<br />
振り落とされた騎手は、密かに自信を持っていた。<br />
一方、調教師は・・・半信半疑。「乗り役の進言で出走を決めた」と言うくらい。</p>
<p>レースは凄まじい展開になった。<br />
猛烈な逃げ争いを演じる２頭に、外枠から掛かり気味に追走する大本命馬・・・<br />
彼らは皆、ＧⅠ馬。追走する後続のペースも釣り上がり、１０００ｍ通過は５７秒５。</p>
<p>３コーナーを回る頃には、早くも１頭脱落。<br />
１８万近い大観衆がどよめき始めた４コーナー。<br />
１４００ｍ通過は、１分２０秒８。それでも切れ目の無い馬群。「狂気の沙汰」である。</p>
<p>当時の府中は、直線５００ｍ。<br />
残り４００ｍ過ぎには、坂が待ち構えている。<br />
なだらかな登り坂・・・だが、時としてこの坂がくっきりと明暗を分ける。</p>
<p>まさに、この日がそうだった。<br />
何とか踏ん張ろうとする先行勢の脚色が鈍り、そして止まった。<br />
異変に気付き、悲鳴のような叫びに包まれた人々の目は、やがて大外の２頭に注がれた。</p>
<p>矢のような伸びで追い込んでくる栗毛の馬体。<br />
しかしその内から、まるで何かに弾かれたような勢いで彼は先頭に踊り出た。<br />
彼がひとたびリードを奪うと、他の１７頭にも、そして彼自身にも脚は残っていなかった。</p>
<p>１分５８秒６。<br />
上がり３ハロン３７秒８。<br />
１馬身半のリードを保って、彼は先頭でゴールに飛び込んだ。</p>
<p>「醜いアヒルの子が、実は白鳥だった。そんな感じかな」<br />
現在では「名伯楽」と呼ばれて久しい調教師は、初ＧⅠ制覇となったこのレースを後にこう振り返ったという。<br />
心ならずも落ち目になっていた騎手と、成績が落ちていた「落ちこぼれ」がもたらしたのは、最高の結果だった。</p>
<p>だが、彼のＧⅠ戴冠に最も狂喜乱舞したのは・・・育成牧場の面々。<br />
その日の夜は、牧場総出でビールかけを敢行して祝杯を挙げた、という逸話が残っている。<br />
彼らもまた、「落ちこぼれ」が頂点に立ったことで、他の何物にも変え難い財産を得たのだろう。</p>
<p><br />
その１１月１日から、１７年。<br />
彼は今、北海道は幕別の地で悠々自適の生活を送っている。<br />
走る仔には恵まれなかったが、彼を愛する人々に囲まれ、２００３年までは種付けをしていたそうである。</p>
<p>当時の映像を観返してみると、直線に向いた直後、外に持ち出された辺り。<br />
この時点では、すぐ外にいる栗毛馬の方に勢いがあり、彼はややモタついているようにも見える。<br />
「隣の騎手のムチが当たったから、彼は本気を出した」という怪しげな噂を聞いたことがあるのだが・・・</p>
<p>素直じゃ無い彼のことだから、聞いても答えてはくれないだろうな。</p>
<p><br />
第23回　レッツゴーターキン　1987年4月26日誕生<br />
戦績　33戦7勝　主な勝ち鞍　天皇賞・秋（ＧⅠ）、小倉大賞典、中京記念（以上ＧⅢ）<br />
&nbsp;</p>]]>
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    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Tue, 05 Oct 2010 07:41:13 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>セントライト</title>
    <description>
    <![CDATA[菊花賞トライアルの「セントライト記念」にもその名を残す日本競馬史上最初の三冠馬、セントライトです。<br />
当時の競馬は、今とは比べ物にならないくらいのハードな条件で戦っていました。<br />
競馬場の整備が行き届かないのは当たり前、重馬場になるととことん重い。<br />
<br />
斤量もひどく厳しく、菊花賞を勝ったセントライトがハンデキャップ戦で背負わされようとしたのはなんと72ｋｇ！<br />
当時は横浜に競馬場があり、府中から横浜への移動は、馬が大綱街道を歩いて移動したそうです。<br />
のんびりというか、馬が丈夫な時代だったんですねえ。<br />
そういう条件で三冠達成したことはやはり凄いと思えます。]]>
    </description>
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    <pubDate>Fri, 01 Oct 2010 07:43:45 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>二頭のかわいそうな馬</title>
    <description>
    <![CDATA[かわいそうな馬が２頭いたレースだった」 このフレーズを聞いて、あなたはいつのレースを思い浮かべるだろうか。 今回の主役は、２頭いる。２頭は全く別の道を歩み、たった１度だけ出会い、そして２度と交錯することは無かった。もっと言えば、本来ならその舞台で彼らが、いやこのレースの全ての出走馬が、この場所に立つはずでは無かった。 １頭は黒鹿毛、そしてもう１頭は鹿毛だった。彼らは別々の国で生を受け、黒鹿毛の方が１年と少し早く誕生した。だから、まずは黒鹿毛の彼のことから話そう。 黒鹿毛の彼は、小柄だった。だけど、細く見えるくらいの時の方が走った。大物食い。ナタの斬れ味。刺客。そんな形容詞がピッタリだった。同期の２冠馬を食ったあの日から、苦難と背中合わせの栄光の日々が始まった。 そもそも彼は、旧７歳まで走らなくても良いはずだった。ＧⅠを２つ勝った馬に、種牡馬としての引き合いが無いはずがなかった。しかし夏が過ぎ、秋が来て、彼の成績が振るわなくなると、その話は立ち消えになっていた。 彼はきっと、気持ちで走る馬だったのだろう。長距離砲でありながら、休み明けのレースで惨敗したことは無かった。２歳下の３冠馬が圧勝した有馬記念では、３着に飛び込んで関東馬の意地を見せた。 デビュー前から、黒鹿毛の彼以上に大きな期待をかけられていたのが、今回のもう１頭の主役。生まれはアメリカ。調教師が惚れ込んだ種牡馬の仔。やや大きめの、垢抜けた鹿毛の馬体。目立った弱点と言えば、脚元のモヤモヤくらい。しかし、その弱点と大きめの馬体が彼を苦しめた。 新馬からの２連勝は、いずれもダートだった。朝日杯に出そうと思えば出せる時期だった。だが、彼の脚元はまだまだ固まっていなかった。 復帰したのは、夏、というよりは残暑の新潟。レース当日、９月の日本海を台風が縦断した。新潟は早々に月曜順延が決定。強行した函館は暴風雨に見舞われた。 １ヶ月に１走のペースで、復帰後７戦３勝。オープンでのメドが立ったその矢先、また脚元が悲鳴を上げた。重症だった。先の見えない日々。それでも調教師は、スタッフは諦めなかった。 そして、２頭は年を越した。半月後、大地が裂けた。大きく裂けた。戦後最大級の被害。あまりにも多くの傷跡が残った。 阪神競馬場で６月に行なわれるはずだったグランプリは「震災復興支援競走」と銘打たれ、京都競馬場で行なわれることになった。 <br />
<br />
２ヵ月後。鹿毛馬は１３ヶ月ぶりのレースを楽勝してみせた。鞍上には関西のいぶし銀・村本善之がいた。戦前は半信半疑だったというテン乗りの村本。この勝利で村本の中に芽生えた「もしかしたら」という思い。 村本は、どちらかと言えば地味な騎手であった。その確かな腕前は誰もが認めていたが、無口で朴訥とした男だった。２０数年の騎手生活の末に訪れた出会い。村本の中で、何かが変わろうとしていた。 １ヵ月後。黒鹿毛馬は勝った。彼にとって、２年越しの天皇楯。３つめのＧⅠ。京都長距離３戦３勝。過去のレースとの決定的な違い・・・それは「自分との戦い」だったこと。死力を尽くした３角先頭の奇襲。 ３０００ｍ以上の平地ＧⅠが行なわれるのは、日本では京都競馬場のみ。彼が３つのＧⅠ勝ち全てを京都で挙げているという事実。彼は生粋のステイヤーだった。ところが、それ故に彼は走り続けるしかなかった。天皇賞２勝目を挙げてもなお、彼に吉報は届かなかった。 ３週間後。あの鹿毛馬は初めて重賞を勝った。復帰から１ヵ月半、この日が早４走目。使い詰めだった。だが、それは彼の脚元の具合が落ち着いていて、ようやく能力を出せる状態になったということの証明でもあった。 京都で行なわれるグランプリまで、あと３週間。 人馬ともに自信を持っていたのは、鹿毛馬の方だった。無口な村本が「負ける気がしない」と言い切ったとまで伝えられている。強行軍は百も承知だった。だが、何よりも初重賞制覇の完璧な内容が、大きな自信となっていた。 一方、黒鹿毛馬の陣営は悩んでいた。死に物狂いでもぎ取った天皇楯、しかしその代償は大きかった。気持ちで走るはずの彼の背中が、凋んで見えた。しかし、いくつもの事実が陣営の背中を押した。 ファン投票１位。京都の２２００ｍという条件。スピード偏重とも言える時流の中で、彼がスピードへの適応力を示せていない、という声、声、声。 そして、第３６回グランプリの日がやって来た。 栗毛の弾丸を倒して掴んだ王座。芦毛の名優を倒して掴んだ栄光。数え切れぬほどの苦難。全てを共に味わってきた騎手・的場均は、パドックで跨った次の瞬間、とある覚悟を決めた。 村本の自信と、的場の不安。２人の騎手の思いはそのまま、レース展開となって現れた。淀み無いペースの中、スイスイと３番手を追走する鹿毛馬。一方、いつもより後ろでの追走となった黒鹿毛馬。 ３コーナーの坂の上り。次々と駆け抜けていく１７頭。そして、坂の下り・・・ <br />
<br />
冒頭のフレーズは、こんなふうに続いている。 「かわいそうな馬が２頭いたレースだった　１頭は　ライスシャワー　(中略) 　もう１頭は　ダンツシアトル　屈腱炎を乗り越えて　やっとＧⅠを勝ったのに　あのレースは　&ldquo;ライスシャワーが死んだ宝塚記念&rdquo; 　として　語り継がれてしまう　それも　また　運命だろうか」 的場は、なきがらが納められた馬運車を敬礼で見送った。あまりにも衝撃的なシーンを目の当たりにした人々は、ＪＲＡに抗議した。雨上がりの芝でマークされた日本レコード。類稀なる超高速馬場。人々は、悲劇の原因をそこに求めたのである。 そして、２分１０秒２でグランプリを制したのが、あの鹿毛馬・・・ダンツシアトルだった。 ２頭にとって、何より不幸だったこと。それは、ライスシャワーのみならず、ダンツシアトルもその後２度とレースに出られなくなってしまったこと。最大の目標と位置付けていたジャパンカップはおろか、自らの走りで「影」を振り払う機会は、ついに巡って来なかったのである。 「秋の大きいところは全部獲れる、と思った」ダンツシアトル故障の知らせを聞き、調教師に食い下がったという村本善之は、後にこう振り返ってみせたという。敢えて最後に１つだけ付け加えるならば、現在もダンツシアトルは、九州の地で幸せに暮らしている。それ以上の言葉は、要らないと思う。<br />
&nbsp;<br />
ライスシャワー　1989年3月5日誕生　1995年6月4日死亡　戦績25戦6勝　主な勝ち鞍：菊花賞、天皇賞・春2回(以上ＧⅠ)　日経賞(ＧⅡ)<br />
&nbsp;<br />
ダンツシアトル　1990年5月13日誕生　　　　　　　　　　　　　戦績14戦8勝　主な勝ち鞍：宝塚記念(ＧⅠ)　京阪杯(ＧⅢ)]]>
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    <pubDate>Mon, 20 Sep 2010 05:08:45 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>トウカイテイオー</title>
    <description>
    <![CDATA[皇帝の子は帝王。<br />
『絶対皇帝』シンボリルドルフの子供トウカイテイオーのご紹介。<br />
<br />
強すぎて面白くない、とまで言われた父に比べて、勝利か惨敗か、というトウカイテイオーの走りっぷりは競馬ファンに愛され続けました。<br />
人間で言えば人徳が、この馬には備わっていたようです。<br />
印象的なエピソードとして、トウカイテイオーに乗った三人のジョッキーのそれぞれのコメントがよくあげられます。<br />
<br />
デビューから六戦を戦い、皐月賞、ダービーを勝った安田騎手、岡部騎手に乗り代わりが決まったときのコメント<br />
「普通は乗り替わりがあると、『ちくしょう、負けちゃえばいいのに』っていう気持ちもどこかに付いてくるものなんですが、あの馬についてはそれはなかった。ずっと勝ち続けて欲しかったですね。それだけ愛せる、素晴らしい馬です」<br />
<br />
その岡部騎手は、父であるシンボリルドルフにまたがった経験から、よくシンボリルドルフとの比較をしていました<br />
「背中、フットワークは父そっくり、落ち着き、賢さは父以上と評したが、最終的には「父親のレベルに達する要素はいくらでも持っていた馬ですが、結局そうはなれなかった」<br />
、「怪我なく順調に行って、普通にレースを重ねていたら、もっと違う仕事をしていたと思う。大変な馬になっていたと思うよ。そういう意味での残念な気持ちは残りますね」<br />
最後の有馬記念でビワハヤヒデを選択した際には「テイオーは終わったと見切りを付けた」という見方もあったが、競走後には、悔しくないかとの問いに対し「他の馬に負けるくらいならテイオーに負けた方がいい」<br />
<br />
そして、トウカイテイオーの最後の騎手田原騎手は自身のエッセイで<br />
「有馬記念での2分30秒9は、私のこれまでの人生で最も充実した素晴らしい時間でした」「あなたのおかげで、競馬のことが少しだけ分かってきた気がします。ありがとう、トウカイテイオー」<br />
「ずっと調教を見ているが、トウカイテイオーは必ず走る。ぶっつけだろうが何だろうが、ジャパンカップを勝った時より今回のトウカイテイオーの方が良い」<br />
競走直前の返し馬では、その動きの良さに「これが本当のテイオーだったのか」と感心し、「『トウカイテイオーが勝つぞ』と叫びたくなった」<br />
最後の直線手前でテイオーの手応えが悪くなりかけた時には「テイオー、がんばれ」と叫び続けたという。<br />
<br />
浮き沈みが激しいトウカイテイオーのレースは、思い通りに行かない競馬ファンたちの人生を象徴するようで、そのあたりも人気の秘密だったことは間違いないでしょう。]]>
    </description>
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    <pubDate>Fri, 17 Sep 2010 03:43:13 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>ステイゴールド</title>
    <description>
    <![CDATA[競馬史上屈指のシルバーコレクター、ステイゴールドに魅力を感じてしまう人は多いみたいです。<br />
自分自身もそうなんですが、判官びいきというか、悲運の名馬とか、そういう響きにあこがれる気がします。<br />
<br />
二着12回三着8回というすばらしいシルバーコレクターっぷりでしたが、そのラストランは香港の地でおこなわれました。<br />
そこで「翼が生えた」と武豊が評したほどのすばらしい走りっぷりを見せて、見事に優秀の美を飾ったのです。<br />
この、実力を備えながらも結果が出ないで苦しむという、心が奮い立たせられるところが、好きですね。]]>
    </description>
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    <pubDate>Sun, 05 Sep 2010 06:58:07 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>名馬マルゼンスキー</title>
    <description>
    <![CDATA[「賞金なんていらない。大外枠でいい。他馬の邪魔はしないからダービーを走らせてくれ！」<br />
競馬ファンなら誰しもこの言葉を聞いた事があると思います。<br />
<br />
生涯無敗のマルゼンスキーが、持ち込み馬であったことで、クラシックで走る事が出来ないために、中野渡騎手がダービー前に出したコメントです。<br />
そして、目標である有馬記念を目前にした故障による引退。<br />
ＴＴＧとの戦いを期待していた競馬ファンは落胆したに違いありません。<br />
生涯八戦八勝のマルゼンスキー、この故障がなければどれほど強くなっていただろうと、未だに惜しむファンは少なくありません。<br />
<br />
種牡馬としても圧巻で、ダービー馬サクラチヨノオーをはじめとして多くの重賞勝馬を輩出し、ブルードメアサイアーとしては、<a href="http://m-umazuki.seesaa.net/article/29098558.html"><u>ウイニングチケット</u></a><u>や</u><a href="http://m-umazuki.seesaa.net/article/28640764.html"><u>ライスシャワー</u></a><u>、</u><a href="http://m-umazuki.seesaa.net/article/33593011.html"><u>スペシャルウィーク</u></a>などの母父として、その名を残しています。<br />]]>
    </description>
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    <pubDate>Mon, 30 Aug 2010 07:05:03 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>戦火の名馬</title>
    <description>
    <![CDATA[多くの人間と同じように、戦争によって運命を混沌に突き落とされた名馬、カイソウをとりあげてみます。<br />
とはいえ、私が生まれる遥か前のことになるので、資料などをたよることになるのですが。<br />
<br />
太平洋戦争激化に伴い、昭和19年ついに競馬が取りやめとなり、東京と京都の2場で春秋2回だけ関係者及び軍のものだけで能力検定競走が行われた。そもそも競馬が軍馬改良の名の下に始められたことを思えば、軍馬自体の意味が薄れていたこの当時でもあっさりと競馬そのものを切り捨てるわけにはいかなかったのだろう。<br />
　カイソウは関西京都の春期能力検定競走で４月デビュー。連戦を重ねて8戦5勝の成績を収めて東上してきた。そしてダービー前の6月11日、ダービーと同じ東京2400を2分34秒44のレコードで関東の評判馬クリアヅマに快勝し、ダービー当日もその評価は高まっていた。カイソウの他有力視されていたのはクリアズマと同オーナー（栗林友二氏＝クリフジのオーナー）の皐月賞馬クリヒカリ、そして2000mでレコード勝ちしているシゲハヤなどであった。もっとも、これらの馬でどの馬の評価が一番高かったかは馬券発売がなかったためはっきりわからないが。<br />
　6月18日ダービー当日。東京競馬場にファンの姿はなく、ゲートル巻き、鉄兜をかぶった関係者約200人が見守る中でのレースとなった。前日の豪雨で馬場は稍重。3-4コーナーの中間で2番手にあがったカイソウが残り半マイルの地点から早めに先頭に立ち、執拗に追うクリヤマト・クリアヅマ・シゲハヤらを寄せ付けず、直線の坂でさらに脚を伸ばしてシゲハヤに5馬身の差を付けて優勝した。同期の中では能力の高さは歴然だった。]]>
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    <pubDate>Sun, 15 Aug 2010 06:24:25 GMT</pubDate>
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    <title>カツラギエース</title>
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    <![CDATA[<p>日本競馬が続く限り、このカツラギエースの名前は永遠に忘れられることはないでしょう。<br />
日本が世界の競馬に追いつくために作られた大レース、ジャパンカップ。<br />
そのジャパンカップで初めて勝利した日本代表馬なのです。<br />
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初のジャパンカップの開催から四年目。<br />
それまで、海外の二流馬たちに、国内屈指のサラブレッドたちは辛酸をなめ続けました。<br />
今後十年は日本競馬は世界の競馬には追いつけない。<br />
その評価を覆さんと、世界競馬に挑む、これ以上はないという二頭の三冠馬。<br />
「四冠馬」ミスターシービーと、「絶対皇帝」シンボリルドルフです。<br />
カツラギエースは14頭だての10番人気、注目度の低い一頭に過ぎませんでした。<br />
「ミスターシービーかシンボリルドルフ、どちらかには先着しよう」という目標で出走したカツラギエースが勝利したことは、無欲の勝利といえるでしょう。</p>]]>
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    <pubDate>Thu, 15 Jul 2010 05:35:51 GMT</pubDate>
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