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『キングオブ”ムラっ気”』が、なぜだかたまらなくかわいらしく思えてしまう事があります。 残念ながら現役時代の彼を見たことはありませんでしたが、五年前、彼に会いにいった事があります。 映像記録で見たひきしまった体はのんびりとした体型になり、好々爺といったところでした。 3歳秋にデビューし3戦目の新馬戦で勝ち上がる[1]と、5戦目の条件戦を勝ってオープン入りした。なお、この勝利が生涯唯一の「単勝1番人気で1着」であった。そして次走の阪神3歳ステークスでは2着と健闘した。 4歳初戦はシンザン記念で2着に入った。父・ビゼンニシキが果たせなかったクラシック制覇の期待をかけられるも距離が伸びたきさらぎ賞、皐月賞トライアルのスプリングステークスで惨敗したことで短距離路線に転向しクリスタルカップ優勝などの成績を残すが、秋のマイルチャンピオンシップでは初めて後手から進むこととなり惨敗した。
5歳になり中京競馬場・1700メートルで行われたマイラーズカップ(騎手は武豊)を5馬身差でレコード勝ちしたが、続く2戦で敗れたため安田記念では10番人気であった。しかしダイイチルビーの2着に入線した。その後CBC賞の2番人気5着をはさみ高松宮杯(当時は芝2000mのGIIであった。騎手は加用正)では、同競走での母子3代制覇がかかっていたダイイチルビーにハナ差で勝利した。マイルチャンピオンシップでは主戦騎手の岸滋彦が騎乗し、ダイイチルビー・ケイエスミラクル・バンブーメモリーなどを抑えて優勝、GI初勝利となった。次いで有馬記念に出走、距離不適と言われながらも5着となった。
6歳になってもマイラーズカップを60kgの負担重量を背負いながら勝利し、グレード制導入以後では初となる連覇を達成した。その後の3戦で2・1・2番人気に推されたが、連続して馬券対象から外れた。しかし毎日王冠をレコードタイムで逃げ切り、秋の天皇賞では3番人気になった。奇しくもその天皇賞には父・ビゼンニシキのライバルであったシンボリルドルフの仔・トウカイテイオーが出走していた。しかしダイタクヘリオスはメジロパーマーと超ハイペースで逃げた末に失速、これを追走したトウカイテイオーも実力を発揮できず、後方に控えていた人気薄のレッツゴーターキンとムービースターが1、2着となった。次走は前年優勝したマイルチャンピオンシップに出走した。1番人気をここまで4連勝中の4歳牝馬シンコウラブリイに譲るも、当時のレコードタイムで連覇した。その後はスプリンターズステークスに出走し久々の1番人気になるも4着、最後は連闘で有馬記念に出走し再び天皇賞と同じくメジロパーマーと激しく競り合った結果、12着に敗れた。これを最後に競走馬を引退した。
【うぃきぺでぃあより】この面白い戦績は、他の誰にもまねできないと思います。 一番人気で勝利したことがいちどしかないこの馬には、未だ魅了されているファンも多いとか PR |
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