落ちこぼれ」が頂点に立った瞬間だった。
1頭の馬の衝撃的な死が、彼の名を完全に人々の記憶から吹き飛ばした。
だがその6年前、同じ11月1日。彼の名は、確かに人々の記憶に刻み込まれていた。血統背景は、一本筋が通っている。
ところが、育成牧場で付いたあだ名が「落ちこぼれ」。
しょっちゅう牧場長を振り落とし、トレセンでは坂路から突如逃亡したこともあった。
この11月1日もそうだった。
ゲートに身体を半分収めたかと思いきや・・・
次の瞬間、彼が騎手を振り落とす姿がテレビに大映しになっていた。
関係者の思いも様々だった。
振り落とされた騎手は、密かに自信を持っていた。
一方、調教師は・・・半信半疑。「乗り役の進言で出走を決めた」と言うくらい。
レースは凄まじい展開になった。
猛烈な逃げ争いを演じる2頭に、外枠から掛かり気味に追走する大本命馬・・・
彼らは皆、GⅠ馬。追走する後続のペースも釣り上がり、1000m通過は57秒5。
3コーナーを回る頃には、早くも1頭脱落。
18万近い大観衆がどよめき始めた4コーナー。
1400m通過は、1分20秒8。それでも切れ目の無い馬群。「狂気の沙汰」である。
当時の府中は、直線500m。
残り400m過ぎには、坂が待ち構えている。
なだらかな登り坂・・・だが、時としてこの坂がくっきりと明暗を分ける。
まさに、この日がそうだった。
何とか踏ん張ろうとする先行勢の脚色が鈍り、そして止まった。
異変に気付き、悲鳴のような叫びに包まれた人々の目は、やがて大外の2頭に注がれた。
矢のような伸びで追い込んでくる栗毛の馬体。
しかしその内から、まるで何かに弾かれたような勢いで彼は先頭に踊り出た。
彼がひとたびリードを奪うと、他の17頭にも、そして彼自身にも脚は残っていなかった。
1分58秒6。
上がり3ハロン37秒8。
1馬身半のリードを保って、彼は先頭でゴールに飛び込んだ。
「醜いアヒルの子が、実は白鳥だった。そんな感じかな」
現在では「名伯楽」と呼ばれて久しい調教師は、初GⅠ制覇となったこのレースを後にこう振り返ったという。
心ならずも落ち目になっていた騎手と、成績が落ちていた「落ちこぼれ」がもたらしたのは、最高の結果だった。
だが、彼のGⅠ戴冠に最も狂喜乱舞したのは・・・育成牧場の面々。
その日の夜は、牧場総出でビールかけを敢行して祝杯を挙げた、という逸話が残っている。
彼らもまた、「落ちこぼれ」が頂点に立ったことで、他の何物にも変え難い財産を得たのだろう。
その11月1日から、17年。
彼は今、北海道は幕別の地で悠々自適の生活を送っている。
走る仔には恵まれなかったが、彼を愛する人々に囲まれ、2003年までは種付けをしていたそうである。
当時の映像を観返してみると、直線に向いた直後、外に持ち出された辺り。
この時点では、すぐ外にいる栗毛馬の方に勢いがあり、彼はややモタついているようにも見える。
「隣の騎手のムチが当たったから、彼は本気を出した」という怪しげな噂を聞いたことがあるのだが・・・
素直じゃ無い彼のことだから、聞いても答えてはくれないだろうな。
第23回 レッツゴーターキン 1987年4月26日誕生
戦績 33戦7勝 主な勝ち鞍 天皇賞・秋(GⅠ)、小倉大賞典、中京記念(以上GⅢ)
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