勢いが全てを凌駕することがある。
何年か競馬を観ていると、たまにそういう場面に遭遇する。
最近では・・・パッと浮かんだのはアロンダイトのジャパンカップダート。
あのレース、小さな画面の前で私は言葉を失った。
だが、今回の執筆の動機は全く別のところにある。
もっと言えば、ほんの数時間前までは全く取り上げるつもりが無かった馬。
それが、今回の主役。
9年前の暮れ。小さな受話器の前で私は言葉を失っていた。
あの日、私の頭の中に居たのはただ1頭、初めて中央と地方との壁に大きな風穴を開けた岩手の雄。
一部では「軍神」とまで呼ばれていた岩手の雄は、しかし、4コーナーを待たずして馬群に沈んでいった。
替わって最後の直線で先頭に立ったのは、「風神」の名を持つかつてのダービー馬の娘。目の前には誰も居ない。
「勝った」――そう思ったであろう横山典弘の視界に飛び込んできたのは、1頭の芦毛馬。
呆然と受話器を握っていた私の耳に、かすかに聞こえて来た彼の名前。
5ヶ月の休み明けから、5連勝でのGⅠ戴冠。その全てが、1馬身差以内での勝利。
文字通り、「破竹の勢い」での東京大賞典優勝である。彼がもっとも輝いた瞬間であった。
翌年の春、彼はドバイの地に居た。
一度は諦めかけた招待状を手にした彼は、6番目にゴールを駆け抜けた。
帰国後、待ち受けていたのは骨膜炎。持ち前の闘志を失った彼は、やがて居場所を失った。
父は無名種牡馬。母の近親に活躍馬は皆無。重賞勝ちは統一GⅠのみ。
彼は走り続けるしかなかった。自らが生き続けるために。その道を自ら切り拓くために。
ダートの聖地・大井で頂点を極め、ドバイの地で戦ってからちょうど4年。
彼は、長い長い戦いの末に、九州は荒尾競馬の頂点に立った。
そして、彼はここで真っ白に燃え尽きた。殿追走・殿負けのデビュー戦から、6年以上の月日が流れていた。
彼は今、信州佐久の地で、メジロデュレンらオグリワンたちと一緒に暮らしている。
彼が生まれてから10年後。
母ケイシュウハーブは、栗毛の牡馬を産み落とした。
遡ること4時間前、2008年のジャパンダートダービーにおいて、最後までサクセスブロッケンに食い下がったスマートファルコンが、それである。
事実上の「繁殖牝馬失格」の烙印を1度は押されたケイシュウハーブ。
芦毛の孝行息子の活躍が無ければ、彼女が岡田繁幸の弟に見出されることも、10歳下の弟が誕生することもなかったであろう。
サラブレッドが背負っている「経済動物」という影。
その事実と向き合って、それでもなおこう思う。
競馬とは、やはり血のドラマなんだ、と。
第13回 ワールドクリーク 1995年4月25日誕生
戦績 中央36戦8勝 地方14戦6勝 主な勝ち鞍 東京大賞典(GⅠ
PR