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駆け抜けた天才三歳馬、ダンスインザダークです。
昔から”無事これ名馬”という言葉がありますが、この馬はまったく逆の生き方となりました。 3歳クラシック最後の一戦である菊花賞。 それがダンスインザダークの最後のレース。 皐月賞、ダービーと後一歩のとこrで届かなかったクラシックの最後の一冠を勝ち取り、その直後、故障。 現在は種牡馬として活躍しています。 PR |
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競馬ファンによる「史上最強馬」の話題がおこると、誰かが必ずサイレンススズカの名前を挙げます。
そして、たいていの競馬ファンは「史上最速」であることは認めるようです。 国内成績15戦9勝。海外では1戦0勝。 戦い方は大逃げ一辺倒。負けるときは大逃げからたれて負けるという、あるいみワンパターンな戦いぶりです。 しかし、そのワンパターンを押して押して、宝塚記念を含む9勝を上げたのですから一級品です。 主な勝鞍は 宝塚記念 中山記念 金鯱賞 毎日王冠 小倉大賞典 秋の天皇賞の大欅で 故障発症、競争中止。 レース後の診断は左手根骨粉砕骨折。安楽死処分。どの馬も止めることが不可能だった超速特急は、最悪の形で止まってしまった。 |
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人呼んで「シルバーコレクター」 |
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『キングオブ”ムラっ気”』が、なぜだかたまらなくかわいらしく思えてしまう事があります。 残念ながら現役時代の彼を見たことはありませんでしたが、五年前、彼に会いにいった事があります。 映像記録で見たひきしまった体はのんびりとした体型になり、好々爺といったところでした。 3歳秋にデビューし3戦目の新馬戦で勝ち上がる[1]と、5戦目の条件戦を勝ってオープン入りした。なお、この勝利が生涯唯一の「単勝1番人気で1着」であった。そして次走の阪神3歳ステークスでは2着と健闘した。 4歳初戦はシンザン記念で2着に入った。父・ビゼンニシキが果たせなかったクラシック制覇の期待をかけられるも距離が伸びたきさらぎ賞、皐月賞トライアルのスプリングステークスで惨敗したことで短距離路線に転向しクリスタルカップ優勝などの成績を残すが、秋のマイルチャンピオンシップでは初めて後手から進むこととなり惨敗した。
5歳になり中京競馬場・1700メートルで行われたマイラーズカップ(騎手は武豊)を5馬身差でレコード勝ちしたが、続く2戦で敗れたため安田記念では10番人気であった。しかしダイイチルビーの2着に入線した。その後CBC賞の2番人気5着をはさみ高松宮杯(当時は芝2000mのGIIであった。騎手は加用正)では、同競走での母子3代制覇がかかっていたダイイチルビーにハナ差で勝利した。マイルチャンピオンシップでは主戦騎手の岸滋彦が騎乗し、ダイイチルビー・ケイエスミラクル・バンブーメモリーなどを抑えて優勝、GI初勝利となった。次いで有馬記念に出走、距離不適と言われながらも5着となった。
6歳になってもマイラーズカップを60kgの負担重量を背負いながら勝利し、グレード制導入以後では初となる連覇を達成した。その後の3戦で2・1・2番人気に推されたが、連続して馬券対象から外れた。しかし毎日王冠をレコードタイムで逃げ切り、秋の天皇賞では3番人気になった。奇しくもその天皇賞には父・ビゼンニシキのライバルであったシンボリルドルフの仔・トウカイテイオーが出走していた。しかしダイタクヘリオスはメジロパーマーと超ハイペースで逃げた末に失速、これを追走したトウカイテイオーも実力を発揮できず、後方に控えていた人気薄のレッツゴーターキンとムービースターが1、2着となった。次走は前年優勝したマイルチャンピオンシップに出走した。1番人気をここまで4連勝中の4歳牝馬シンコウラブリイに譲るも、当時のレコードタイムで連覇した。その後はスプリンターズステークスに出走し久々の1番人気になるも4着、最後は連闘で有馬記念に出走し再び天皇賞と同じくメジロパーマーと激しく競り合った結果、12着に敗れた。これを最後に競走馬を引退した。
【うぃきぺでぃあより】この面白い戦績は、他の誰にもまねできないと思います。 一番人気で勝利したことがいちどしかないこの馬には、未だ魅了されているファンも多いとか |
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砂の女王ホクトベガ。
これは私が大好きな馬です。 ダートの女王として名高いホクトベガですが、実はターフでも結構な強豪でした。 エリ女制覇は伊達じゃないんです。 東の一等星、北斗のベガ、ベガはベガでもホクトベガです という名フレーズとともに思い出す競馬ファンも多いかと思います。 この「ベガはベガでも~」以外でも、このホクトベガは、幾つか実況担当の名フレーズをもらっています。 1996年帝王賞では 「この実況をお聞きの、大井の、そして地方競馬ファンの皆さん、私は何度でも言いましょう・・・ホクトベガ、やはりお前は強かった!!!」 マイルチャンピオンシップ盛岡では 「女王様とお呼び!!」 どうでもいいことですが、女王様とお呼び、では時代を感じます(笑) そして、悲劇のドバイワールドカップ。 第四コーナーで接触、転倒、結果 予後不良。 鞍上の横山騎手は、自分の強引な騎乗が起こしたアクシデントだと、悔いたそうです。 そして、横山騎手が現在に至るまでマスコミを好まない理由は、この事故の後の、マスコミ関係者からの心ない中傷にあるといわれています。 ホクトベガの調教師である中野先生は、ホクトベガについて、こう語ったそうです。 「彼女はモナリザ、その強さは永遠の謎だよ」 |
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