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皇帝の子は帝王。
『絶対皇帝』シンボリルドルフの子供トウカイテイオーのご紹介。 強すぎて面白くない、とまで言われた父に比べて、勝利か惨敗か、というトウカイテイオーの走りっぷりは競馬ファンに愛され続けました。 人間で言えば人徳が、この馬には備わっていたようです。 印象的なエピソードとして、トウカイテイオーに乗った三人のジョッキーのそれぞれのコメントがよくあげられます。 デビューから六戦を戦い、皐月賞、ダービーを勝った安田騎手、岡部騎手に乗り代わりが決まったときのコメント 「普通は乗り替わりがあると、『ちくしょう、負けちゃえばいいのに』っていう気持ちもどこかに付いてくるものなんですが、あの馬についてはそれはなかった。ずっと勝ち続けて欲しかったですね。それだけ愛せる、素晴らしい馬です」 その岡部騎手は、父であるシンボリルドルフにまたがった経験から、よくシンボリルドルフとの比較をしていました 「背中、フットワークは父そっくり、落ち着き、賢さは父以上と評したが、最終的には「父親のレベルに達する要素はいくらでも持っていた馬ですが、結局そうはなれなかった」 、「怪我なく順調に行って、普通にレースを重ねていたら、もっと違う仕事をしていたと思う。大変な馬になっていたと思うよ。そういう意味での残念な気持ちは残りますね」 最後の有馬記念でビワハヤヒデを選択した際には「テイオーは終わったと見切りを付けた」という見方もあったが、競走後には、悔しくないかとの問いに対し「他の馬に負けるくらいならテイオーに負けた方がいい」 そして、トウカイテイオーの最後の騎手田原騎手は自身のエッセイで 「有馬記念での2分30秒9は、私のこれまでの人生で最も充実した素晴らしい時間でした」「あなたのおかげで、競馬のことが少しだけ分かってきた気がします。ありがとう、トウカイテイオー」 「ずっと調教を見ているが、トウカイテイオーは必ず走る。ぶっつけだろうが何だろうが、ジャパンカップを勝った時より今回のトウカイテイオーの方が良い」 競走直前の返し馬では、その動きの良さに「これが本当のテイオーだったのか」と感心し、「『トウカイテイオーが勝つぞ』と叫びたくなった」 最後の直線手前でテイオーの手応えが悪くなりかけた時には「テイオー、がんばれ」と叫び続けたという。 浮き沈みが激しいトウカイテイオーのレースは、思い通りに行かない競馬ファンたちの人生を象徴するようで、そのあたりも人気の秘密だったことは間違いないでしょう。 PR |
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競馬史上屈指のシルバーコレクター、ステイゴールドに魅力を感じてしまう人は多いみたいです。
自分自身もそうなんですが、判官びいきというか、悲運の名馬とか、そういう響きにあこがれる気がします。 二着12回三着8回というすばらしいシルバーコレクターっぷりでしたが、そのラストランは香港の地でおこなわれました。 そこで「翼が生えた」と武豊が評したほどのすばらしい走りっぷりを見せて、見事に優秀の美を飾ったのです。 この、実力を備えながらも結果が出ないで苦しむという、心が奮い立たせられるところが、好きですね。 |
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「賞金なんていらない。大外枠でいい。他馬の邪魔はしないからダービーを走らせてくれ!」
競馬ファンなら誰しもこの言葉を聞いた事があると思います。 生涯無敗のマルゼンスキーが、持ち込み馬であったことで、クラシックで走る事が出来ないために、中野渡騎手がダービー前に出したコメントです。 そして、目標である有馬記念を目前にした故障による引退。 TTGとの戦いを期待していた競馬ファンは落胆したに違いありません。 生涯八戦八勝のマルゼンスキー、この故障がなければどれほど強くなっていただろうと、未だに惜しむファンは少なくありません。 種牡馬としても圧巻で、ダービー馬サクラチヨノオーをはじめとして多くの重賞勝馬を輩出し、ブルードメアサイアーとしては、ウイニングチケットやライスシャワー、スペシャルウィークなどの母父として、その名を残しています。 |
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多くの人間と同じように、戦争によって運命を混沌に突き落とされた名馬、カイソウをとりあげてみます。
とはいえ、私が生まれる遥か前のことになるので、資料などをたよることになるのですが。 太平洋戦争激化に伴い、昭和19年ついに競馬が取りやめとなり、東京と京都の2場で春秋2回だけ関係者及び軍のものだけで能力検定競走が行われた。そもそも競馬が軍馬改良の名の下に始められたことを思えば、軍馬自体の意味が薄れていたこの当時でもあっさりと競馬そのものを切り捨てるわけにはいかなかったのだろう。 カイソウは関西京都の春期能力検定競走で4月デビュー。連戦を重ねて8戦5勝の成績を収めて東上してきた。そしてダービー前の6月11日、ダービーと同じ東京2400を2分34秒44のレコードで関東の評判馬クリアヅマに快勝し、ダービー当日もその評価は高まっていた。カイソウの他有力視されていたのはクリアズマと同オーナー(栗林友二氏=クリフジのオーナー)の皐月賞馬クリヒカリ、そして2000mでレコード勝ちしているシゲハヤなどであった。もっとも、これらの馬でどの馬の評価が一番高かったかは馬券発売がなかったためはっきりわからないが。 6月18日ダービー当日。東京競馬場にファンの姿はなく、ゲートル巻き、鉄兜をかぶった関係者約200人が見守る中でのレースとなった。前日の豪雨で馬場は稍重。3-4コーナーの中間で2番手にあがったカイソウが残り半マイルの地点から早めに先頭に立ち、執拗に追うクリヤマト・クリアヅマ・シゲハヤらを寄せ付けず、直線の坂でさらに脚を伸ばしてシゲハヤに5馬身の差を付けて優勝した。同期の中では能力の高さは歴然だった。 |
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日本競馬が続く限り、このカツラギエースの名前は永遠に忘れられることはないでしょう。 |
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