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多くの人間と同じように、戦争によって運命を混沌に突き落とされた名馬、カイソウをとりあげてみます。
とはいえ、私が生まれる遥か前のことになるので、資料などをたよることになるのですが。 太平洋戦争激化に伴い、昭和19年ついに競馬が取りやめとなり、東京と京都の2場で春秋2回だけ関係者及び軍のものだけで能力検定競走が行われた。そもそも競馬が軍馬改良の名の下に始められたことを思えば、軍馬自体の意味が薄れていたこの当時でもあっさりと競馬そのものを切り捨てるわけにはいかなかったのだろう。 カイソウは関西京都の春期能力検定競走で4月デビュー。連戦を重ねて8戦5勝の成績を収めて東上してきた。そしてダービー前の6月11日、ダービーと同じ東京2400を2分34秒44のレコードで関東の評判馬クリアヅマに快勝し、ダービー当日もその評価は高まっていた。カイソウの他有力視されていたのはクリアズマと同オーナー(栗林友二氏=クリフジのオーナー)の皐月賞馬クリヒカリ、そして2000mでレコード勝ちしているシゲハヤなどであった。もっとも、これらの馬でどの馬の評価が一番高かったかは馬券発売がなかったためはっきりわからないが。 6月18日ダービー当日。東京競馬場にファンの姿はなく、ゲートル巻き、鉄兜をかぶった関係者約200人が見守る中でのレースとなった。前日の豪雨で馬場は稍重。3-4コーナーの中間で2番手にあがったカイソウが残り半マイルの地点から早めに先頭に立ち、執拗に追うクリヤマト・クリアヅマ・シゲハヤらを寄せ付けず、直線の坂でさらに脚を伸ばしてシゲハヤに5馬身の差を付けて優勝した。同期の中では能力の高さは歴然だった。 PR |
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